wattsのノート−いろいろな本のノート

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2007/8/27 感想を書きました。


「「あたりまえ」を疑う社会学」好井裕明 光文社 光文社新書 2006年 2月20日発行

興味深いことが書いてあるのを期待して読み始めたが、読みにくく、楽しめなかった。要するに、社会調査の中でも副題にある質的調査、アンケートで統計を取って……という量的調査でなく、ある集団の人たちと面接したり、ときには、その集団の中に参加したりして行う調査について書いてある。調査のために、ある人たちと接したり、あるいはある集団の人たちが自ら語り出すことによって、今まで見えなかったものが見えてきたり、はっきりと認識出来てなかったことが、あきらかになる。新たな社会関係が生まれてくるのだという、そういうことが書かれている。調査は単に調査でなく、H. ガーフィンケルが命名したエスノメソドロジー、それは、あたりまえと思われている自分たちの営みを新たに見直す実践である。書かれていることはもっともだが、読んでみて、私にとって、大いに認識を改めさせられた、というほどの内容もないし、なにより、進歩的で、いかにも真面目な大学の先生の、青年の主張的講演を聞いているようで、著者への親しみのようなものが全然湧かなかった。私の立場から言うと、いろんな偏見や差別がある社会を変えて行こうというような態度には賛成なのだが、頭では賛成出来ても主張している人に親しみが感じられなければ、近寄り難い、気詰まりである。ブログや webのページを見ていても、書いてあることは、もっともなのだが、書いてる人にはあまり人間的な親しみを感じないものがある。いかにも大学の研究室の中から物を言っているという、そんな印象だ。

あとがきに、社会学の学生や先生、高校の先生や生徒に読んでほしいと書いてあるが、まさにそういう人たち向けの本として出せばいい内容で、一般読者向けの新書で出すことはない本だと思う。高校の先生に読んでほしいと言うのは、進路指導の先生が、社会学とはどんな学問か、どういう進路があるのか、どういう資格が取れるのかと質問される。そういう実利的な観点からしか社会学を捉えようとしない先生に、社会学の素晴らしさを伝えたいというのだが、その動機からして、なんだか的をずれているような……。学問の世界がそれぞれに有意義で素晴らしいものなのは、言うまでもないだろう。だが、大学卒業後、それを仕事にして行ける人は、一握りである。だからこそ、社会人になってからのことを心配するのではないか。p.235 「社会的ひきこもり」が、ジェンダーフリー主張者や同性愛者などへの攻撃と同じように、保守的な普通の人々が、自分たちの生活の価値基準からはずれた者を排除するレッテルづけであるかのように記述されているのも妙だ。実際に「社会的ひきこもり」という言葉で人を排除する場面も生じてはいるだろうが、それが目的で作られた用語ではないはずだ。

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